あと2日で3月11日、悪夢から1年経とうとしています。
いまだにまた大きいの来るんじゃないかとか、
今度大津波来たら・・・、とか考えてしまいます。
あの日あの時間、自分は定休日で隣町の宮城県気仙沼市にいました。
某カー用品専門店の2階に妻と幼子と3人で居て、
地震の瞬間、子供を抱え外へと走り出しました。
親からメールが来て、家の中がめちゃくちゃだということで、
買い物途中で帰ることにしました。
大惨事とはつゆ知らず、帰りの道中、
国道の信号が消えてる写真を撮りましたね。
津波が来てるのも知らずに
渋滞に巻かれながら海沿いの国道を走ってました。
国道をそれ川沿いの市道を走り家へと向かってましたが、
数分後川沿いが飲まれ壊滅したのを知ったのは何時間もあとです。
工場が心配で見に行き、
工場の下まで津波が来たことで我が町が壊滅したと悟りました。
家族に伝えねばと慌てて撮った写真がコレです。
動揺してたせいか何を撮ったのか・・・。
工場に着き変わり果てた姿に唖然するだけで、
余震の恐怖もあり片づけもせず帰りました。
自宅に着き、眺めると川を家などが逆流していました。
まるで夢でも見てるそんな気がしました。
怯える夜を車で過ごし、
翌朝連絡の取れない海側に住んでいた祖母を探しに町に出ました。
変わり果てた町がありました。
これからどうすればいいのかどうなるのか、
何も考えられない状態でしたね。
ライフラインを全て絶たれ、幸い地震直前に、
子供のミルクやオムツを買いだめしたのは正解でした。
町には店がなくなりましたから。
それから徐々にライフラインが復旧してきました。
水を汲むために工場の裏に階段を作ったりもしました。
燃料入手困難な中、遠くから
仲間が支援物資を何度も届けてくれたり、
元気づけのバーベキューを開催してくれたり、
生きる気力が出ました。
夏、やっと電話や水道が復旧し、
仮設の商店やスタンドができ、
普通とまでは行きませんが暮らせるようになりました。
震災後は行くことのなかった海、に
よく釣りに行ってた場所に行ってみました。
灯台や建物はありませんでしたが、
何事もなかったように穏やかでした。
違う釣り場は岸壁すら崩壊してなくなってたり、
行く道がなくなってたりしましたが。
釣り具屋もないんで釣りにはまだ行けませんが、
また地元で釣りしたり泳いだりしたいですね~。
まもなく1年。
早期復興を願い、東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福を深くお祈り申し上げますとともに、
被災された皆様、そのご家族の方々に、心よりお見舞い申し上げます。
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